その後の幸せ感
2020年1月16日 愛車をフェリーに載せて北海道に向かいました。
新千歳空港にある小さなオフィスで働かせてもらう機会を得て、単身で転勤したのです。
北海道の登山は何もかもこれまでと勝手が違います。
こっちの熊は猛獣の類い。ヒグマの怖いイメージだけでなく、実際に足跡、笹を掘り起こした跡、糞などの熊がいた証拠を目にすることがあり、本当に熊の領域に踏み込んでることに緊張します。
気象が変化するスピードは速く、また天候は狭いエリアの中で変化している感じがします。この街と、すぐ隣の街では天気も気温も大きく異なったりします。
土地も空も大きい。山はすぐ近くにあるけど、ひとたび山に入ればどこまでも原始の自然が広がっている。
ここでの登山で発見したこと、思いついたこと、ここで記事にしようかと久しぶりにログインするともう一年以上のブランクで驚きました。
でもブランクの間にも私なりの登山を北海道で続けています。登山の初心者に戻ったような時間でした。
塩見丸山 2021/1/17
ここの山頂から日本海を見渡すと、なんとなく丸い景色のせいなのか、地球にいるって感覚になります。
地球にいるのは当たり前のことだけど、それを感じることができれば幸せ。
登山靴を選ぶとき
8年間愛用してきた登山靴が劣化してきました。
最近になって浸水するようになってしまいました。
雨の日に使って、靴下が濡れた時はショックでした。「えっ? なんでだろう」って感じ。
多分侵入経路は足の甲のベロのような部分かなぁ。
その後、防水ワックスを塗って、騙し騙し使ってみました。やはり浸水して足が濡れる。
8年使った靴。もう寿命なんですね。
靴底を交換しても保たないものです。
靴を形成しているゴアテックスや皮やそのほかの素材、傷むのですね。
傷んだのは写真の右の靴。 無雪期のテント泊縦走とか、しっかりホールド感が欲しい時に使っていました。 愛着のある相棒です。でももはや買い換えるしかないようです。
でもいざ買い換えようと思うと選ぶのがとても難しい。
わたしの足にフィットする靴。フィット感は必須です。
先日、石井スポーツの登山本店で選んでもらって3足ほど試し履きさせてもらったのですが、どれも自分のイメージとは違うもの。
確かに足にはフィットした靴だったけど、価格と靴の作り、デザインが違う。
わたしは少しタイトな感じ、幅の狭い靴が好き。
だけど、多くの登山靴は日本人の足にマッチさせた幅広が主流のようです。
また、メーカーは靴の軽量化を目指しているようで、ファブリックを多くして、皮を薄く、少なく使っている印象だけど、わたしは厚い皮の単純でがっしりした構造の靴が好き。その方が丈夫で長持ちしそうだから。
悩みます。
ネットでは色々な登山靴が紹介されていますが、現実にショップにある在庫は限られています。
わたし、冬靴は持っている。夏の低山にはアプローチシューズを使ってる。
でも、高山の岩稜をテントを担いで歩くときの理想の靴がなかなか見つからない。
今日。穏やかな秋の日曜日の午前。汚れたアプローチシューズを洗って、防水ワックスを塗った。
これからの季節はアイゼンを装着できるしっかりした靴が必要です。
今から登山ショップに行って、また登山靴を探してみようと思います。
辛い山道の歩き方
山歩きを続けると慣れてくるような気がするけれど、それでも、いつでも、山道を歩くのは辛いもの。
重たいザック、きつい斜面、長い道のり、どれも楽じゃない。
「こんなとこ歩くのかぁ」って怖じ気ずく時だってある。
何か楽するコツはないのかな。
自分なりに考えて、試していることがいくつかあります。
その一つ、自分自身を蒸気機関車に例えてみる方法。かなり呼吸が荒れる時に「私は蒸気機関車」だと思ってみる。
例えば、10歩足を進めたら、5呼吸足を止める。これをリズミカルに繰り返す。そのリズムを蒸気機関車のシュッポシュッポだと思うのです。息が荒れて「ハアハア」しているのは、機関車の釜に燃料を放り込んでいるのだと思うのです。
そうして、一歩、一歩を少しずつ重ねて行けば、いつか必ず山頂に到着。
ゆっくりスピードの蒸気機関車に乗って、雄大な景色を眺められる瞬間は最高。
素敵な山レディー
台風15号が接近した9月8日に、長野県、鳥倉登山口から入山し、塩見岳、間ノ岳、北岳を縦走してきました。
台風が影響して、山行の前半は人と会うことがありませんでした。本来の山と正面から向かい合えるような、とても良い時間でした。
色々あって、4泊5日の旅を終え、甲府駅近くの銭湯で体を清めて、新宿行き特急電車に乗り込んだ時のことです。
突然、近くの女性が私に親指をたてて、「いいね」の合図をして話しかけてきた。
「どこの山? 縦走?」
「はい、南アルプスです。」
「私はね、70歳を過ぎてから100名山を登ったのよ。歩くっていいわね」
すごい! 100名山の中には険しい山があります。それを含めて全て登ったなんて。実際はツアーだったそうですが、それでもすごいと思う。
北高尾山稜の山道でも、素敵な山レディに出会ったことがあります。
主稜線の高尾から陣馬の続く道とを比べると、北高尾山稜の道は険しくて立派な山道です。高尾山域にもこんな山らしい道があるのかって感じ。
そこを腰の曲がったおばあちゃんが登っていました。主稜線の道との合流まで後一歩、堂所山山頂で、少し話をしました。
「こんにちは、お達者ですね。よく登ってきましたね。陣馬山までもう少しですね。」
「いや、わたし、なんども挑戦して、ようやくここまで登れて嬉しい。少しづつね、陣馬山まで近づけているのよ。でも今日はここまでだわ。陣馬高原キャンプ場の方に降りるわ。また今度来るわ。」
このおばあちゃん、どうしてこんなに頑張れるのだろう。
わたしは、頭の中で妄想する。きっと亡くなったおじいちゃんの趣味が山登りで、陣馬やまの話を聞いていたのだろうって。
70歳を過ぎて100名山の人。腰が曲がっても山頂を目指すおばあちゃん。
人生、こうじゃなきゃ。
「好きなことをやる」ってことは、人生が輝くってこと。
賢い子
山行で泊まった宿に君はいました。
すごく良い子、賢いなぁ。
わたしは君の態度をみて「おいで」って言った。近くに来てもらって触りたかった。
君はわたしをみて近ずいて、わたしの匂いを嗅いだよね。
わたしにはすぐにわかった。君が賢い良い子だって。
賢いって、きっと心根にあると思います。
そのこと学校では教えていませんが。
やりなおす
わたしが15歳(中学3年生)のとき。
わたしに強い影響を与えた著述があります。
それをそのまま引用しますね。
「我々は神様じゃないんだから、やった仕事の量や正否は最終的なものではない。ただ、それまでに正しいと思って進んで来たことが、間違えであったと知った時は、いつでもやめて道を進みなおすことだ。過去の仕事の量が蓄積された時、それをやりなおすということは勇気のいることには違いない。しかし、新しい道を進んで、その距離がたとい古い道より短くても、その人は最善の時にあると言える。」(あとは省略)
この言葉、なんの経験も実績もない子供のわたしの心に染み込みました。
一言でいうとなんだろう、「間違ってもやり直せば良い」っていう哲学って感じ。
これ、子供のわたしには都合の良い弁解の哲学だった。
著述は、ある山の本。
おませなわたしは、15歳から山に憧れていたみたいです。
今日、改めてこの言葉を本棚から探しました。
あった、あった。ずいぶん難しい本。 よくこんなの読んでいた。
でもさ、今でも言葉に心がしみる。
「間違ったらやり直せば良い」
夏の風は思いやり
とても暑い。
そんなとき、ふっと風が流れて、とても気持ちいいときってありますよね。
山歩きでも。
登坂で、息が荒れて、肌から汗が溢れて、傾斜を登って尾根に出たら、とてもいい風が吹いて来て、幸せな気持ちになる時があります。
風が気持ち良い季節は、夏から初秋にかけて。
誰か知らない人から爽やかな「思いやり」をうけたような気持ちよさ。
他人の立場に立って、相手の人の気持ちに寄り添って、物事を考えて、行動する事。
いつもそうすることはできないけれど。
人は何気に自己中なものだけど。
でも、風が気持ちいいとき、これは「思いやりを受けたのだ」って思ったらいいかも。
そうすれば人に優しくできるかも。
でも風は優しさだけではありません。 時には暴れる。
台風10号接近中。
災害がないことを祈ります。